「コロナ禍の生活綴方」長野市関係分

私は一日一日を必死に生きています(石)

「やばい。6時に間に合わない。」
出張先からの帰り道、私は助手席で、1人焦っていました。
小学2年生の子どもを放課後に預けている児童センターは6時で終わりです。
「どうしよう。どうしよう。」「どうしよう。どうしよう。」
5時を過ぎた時点で、私は同乗している同僚に助けを求めるように言いました。
「児童センター、6時までなんです。」
運転中の同僚は、驚きつつも「スピード出して行きますね。」と優しく対応してくれます。同乗している他の同僚も私を責める人は誰もいません。
誰1人私を責める人はいませんが、「すみません。会議の終わり時間を甘くみてました。」「すみません。事前に母にお願いしておけば良かったのに。」「申し訳ないです。本当に。」などと連発している自分。
そのとき、ふと、夫の存在を思い出しました。
児童センターから徒歩10分のところに勤務しています。
急いで電話をかけました。
私:「出張先から間に合いそうにない。児童センターにお迎えに行って、家に置いてまた仕事に行って大丈夫だから、仕事抜け出して迎えに行けない?」
夫:「打ち合わせが入ってるから無理だよ。」
私:「あ、分かった。」
怒りもしないし、失望もしません。しないことにしています。疲れるので。
共に子育てをしたい、と思っていた頃は、怒りや失望で、気が狂いそうでした。
でもあるときから、やめました。疲れるので。期待しなければ、怒りも失望もないのです。
同僚は可能な限りスピードを出して運転しています。
怒らない、失望しないことにしているけど、やっぱり、心の底に無理矢理沈めてある感情が、抑えきれません。「自分は余裕あるときだけ手伝えばいい、ってその立ち位置、なんなんだ。」「自分が同僚に頭下げて、打ち合わせの時間をずらしてもらうとか、そういう努力しないのかよ。」「自分だけ、同僚に迷惑かけない出来るヤツの立ち位置キープしやがって。」
そんな気持ちを再び心の底に沈めるため、私は、ネタとして夫の文句を披露して同僚を笑わせました。笑いがとれると少し気持ちが楽になる。そして「すみません」「すみません」と頭を下げ続ける。
スピードを出してくれたけれど、もう間に合わない。5時50分、私は、児童センターに電話をかけました。「先生、大変申し訳ないのですが、渋滞に巻き込まれて6時に間に合いません。10分か15分くらい遅れそうです。」声が震えていて自分でも驚きました。「お母さん、大丈夫ですよ。安全運転で来てください。」その一言に涙が出そうでした。
同僚にあれやこれやの無理をしてもらい、何とか6時15分に児童センターに到着。「すみませんでした。」「すみませんでした。」平謝りし続ける私。
小学2年生の子どもを拾って、6時半までの保育園に直行。ギリギリ滑り込みセーフ。
自宅へ戻ってやれやれ一息つきますか。ビールでも。とはいきません。
夕ご飯を作ってお風呂を洗って、食べさせ風呂に入れ、「宿題やったか」と世話をやき、「たたいちゃいけない。」と兄弟げんかを仲裁し、歯磨きしてね、トイレ行ってね、と何度も言い、1人で怖くて行けないというのでトイレについて行き、ハイテンションで遊んでいる子どもを捕まえて順番に仕上げ磨きをし、はっと気がついたら「やばいこんな時間だ、明日の朝起きられない。」と急に焦り、布団の上で飛び跳ねている子どもに「いい加減に布団に入れ!」と思わず大声を出してしまい、ああ、怒鳴ってしまったと思って、取り繕うように、絵本を1冊だけ読んであげたけど、読み終わったらこんな遅くなってしまい、やっぱり絵本はやめておくべきだったな、などと後悔しながら、やっと子どもを寝かせる。
ああ。疲れた。
私、今日、何回「すみません。」と言っただろう。
疲れのせいだろうか、「子育て中の女はやっぱり使えない。」と、自分で自分を責めている。そういう自分を、「そんなことを思うなんて、おまえの中に子育て中の女性に対する偏見がある証拠だ。」と再び自分が責めてくる。
夫は、お迎えに行けなかったこと、なんて思っているだろう。
「申し訳なかった。」って思っているんだろうか。それとも「遅くなるって分かっているなら何で事前に頼まなかったんだ。」って思ってるだろうか。などと夫の気持ちをあれこれ考えてみたが、おそらく何にも思っていない。私から電話があったことすらもう覚えていないだろう。
「使えない女」と「時間外の打ち合わせでも嫌な顔一つせずに応じる仕事の出来る男」
そんなことを思って苦しくなった。
今日も夫が帰宅するのは深夜だ。
今日の出来事を話してみたいが週末にならなければ、夫と会話する時間もない。でも週末まで持ち越して話すような内容でもない。こうして今日のことは無かったことになっていく。いつもその繰り返しだ。
夫の人柄のせいばかりではないだろう。
夫を解放してもらいたい。
毎日深夜まで働かせられる。そんな働き方っておかしくないですか。
働き方改革っていうなら、5時に身柄を解放してください。
コロナで家族の絆が深まったとか、吐き気がします。
休校中も学校が始まってからも、私の負担は増えるばかりです。
「日本、がんばろう」とか聞きたくもありません。
これ以上、頑張れねえよ。それが率直な思いです。
頑張れば報われる、そんな考え方に支配され苦しんできました。
さいきん、それにやっと気がつきました。
私は一日一日を必死に生きています。


自分で「行動してみる」「考えてみる」「工夫してみる」(白石香)

農業にハマってしまった。
義理実家がリンゴ農家を営んでいたが、今まで全く興味が無く、手伝う事もしなかった。
何故だろう…
年明けの3月頃。知人が話を持ち出した。
「相続した鬼無里の土地を十年以上放置していて、毎年毎年、草刈りが大変なんだ。誰か使うなら、無償で貸すよ。私も使ってくれると余計な手間が省けて有り難い。」
自身が立ち上げた「子どもの居場所提供」を主とするボランティア活動で、親子で収穫体験を企画できないか考えていた矢先だった。
「一度下見に行こう。」
別のボランティアグループで知り合ったメンバーと一緒に、現地を視察しに行く事になった。
畑→田んぼ→放棄地となり、ススキ畑になっていた。
「この土地で収穫できるの?」「ちょっと無理かな…」「とりあえず、草刈りしてみて、それから考えよう!」
仲間と一緒に草刈りから始めた。しかし草刈り機が故障し、全てマンパワーでの開墾。
助けてくれた私の大切なお二人は、そこそこのお年ごろ。にもかかわらず、クワとカマを持ち、皆で力を合わせて草を刈ってみた。
途中でくじけそうになったが、わずか半日で「更地」になった。
中学生が好きな言葉「達成感」そのものである。

「これだけ汗かいて土地作ったんだから、せっかくだから何か育ててみる?なにか、手間のかからなそうなものを試しで植えてみるか。」
「ジャガイモだったらいいんじゃない?」
そして、プロジェクトが始動した。
十年以上放棄されていた土地。おまけに水田だった土地は水はけが悪く、沼地と化している。
先人の知恵を生かし工夫し、「土づくり」をしながら作業を進めた。
普段は別のボランティアをしていたり、仕事をしていたり。でも、時間があれば交替で畑を見守り育ててきた。
長い梅雨が明けた。
やっとジャガイモの収穫に辿り着いた。スーパーのカゴ2つ分。
子どもたちには、一人数個のジャガイモを渡せるだろう。
でも、私が目指している活動はそこではない。
「収穫体験」が出来る施設は、市街地付近にいくらでもある。わざわざこんなトンネル十個以上くぐらなくても。
「食育」を推進している企業もたくさんある。
私は、そもそも食材や物品の提供を主に活動していない。
子どもたちに一番伝えたい事。それはコロナ禍の前から感じていて、自身の子どもたちや関わりのある子どもにも話している。
それは、自分で「行動してみる」「考えてみる」「工夫してみる」。
その先に、喜びがあるんだよ、学びがあるんだよ、自分が成長できるんだよ。
今の子どもたちには、自発的に活動する事が減ってきている。
大人に言われた事をただこなすのではなく、自分から、行動できる人になって欲しい。
そのためには、まず大人が行動しなければいけないかな、と始めた「小さな一歩」。
コロナ禍で行動制限がある今、
「自分が自分であるために」
何かを見つけに行って欲しい。
未来ある子どもたちに


コロナ禍と学生生活の狭間で(Scheherazade.)

コロナ禍で学生の貧困が問題視された。自分も当事者であるため、声を上げた。だが、この問題の根本に迫った言説はどれほどあっただろうか。メディアの取材や世論は「コロナによる学生の貧困」ばかりを問題視する。元から存在していた「学生の貧困」にスポットを当てた報道は片手で数えるほどだった。コロナ禍と学生生活の狭間で、忘れ去られたものはなかっただろうか。
私は生活費を自費負担することを条件に大学進学を許された。当初は授業料に関しては親持ちという話であったが、気づけばそれすらも自己負担という形になっていた。それらを賄うには奨学金の利用とアルバイトをするしかなかった。奨学金を利用するといっても、日本の奨学金は事実上の借金であり、下に弟妹がいる都合上、自己破産の可能性がある多額利用は避けたい、いや避けなければならない。必然的にアルバイト収入への依存度が増えた。
だが、親から提示された条件は「扶養内(年間103万以下)の収入」であった。奨学金と合わせて年間150万以下で授業料を含めて自活する必要があった。授業料は免除制度を利用して半額での支払いではあったがそれでも年間26万円。年間所得の6分の1である。
問題の根本は、「授業料が高いこと」と「真の奨学金」が存在していないことにある。令和2年度から始まった就学支援新制度では家庭の経済状況に合わせた給付型奨学金制度が始まったが、支援を受けられるのはごくごく限られた層。年収によって支援額が変動するのも特徴で、私はそれ以前に受けていた支援額よりも減少した。そして、この制度開始と時を同じくして生じたのがコロナ禍であった。
「学生の貧困」に目が行くあまり根本の原因を見失ってはいないか。どんな状況であっても学生生活を安心して送る権利、すなわち「学習権の保障」に関する視点は欠如していなかったか。
コロナ禍と学生生活の狭間で、盛り上がりかけた学習権に関する議論。「学生の貧困」が意味することは「学習権の侵害」である。今一度、学習権に立ち返った議論をすることが必要だ。


ある派遣社員の女性の生活

コロナ禍の中、工場勤務ということもあり
普通に作業が始まり普通に終わるという日常が普通でありました。
ですが何も無い筈もなく、外国からの部品が入ってこなくてミーティングや勉強会というものが増えた。
その会社は県外に本社があり、本社の方がコロナが身近だったので会社全体で作業中はマスクをする事も決まりました。
お昼なども向かい合わず席や机の間を開けて座り、お喋りは無しとは言われなかったのですが空気を読む形で黙って食べました。
その後その会社を辞めたのですが、その後に勤めた会社は1か月弱で雇い止めになり、勤めている間で仕事を探さなければなりませんでした。
雇い止めの理由は未だに理解できていませんが、無職になるので必死に探しました。
今も派遣ですが、その時も派遣だったのですが、担当の方は
「急すぎて遠い距離の場所しか紹介できないので他社さんで探してください。」
「もう今の会社のことは忘れて前向きになってください。」
という事でした。
1人暮らしという事もあり仕事をしていない状態は無しなので条件に合っていない住まいから40分くらいの場所にご縁をいただいて仕事をしています。
コロナ禍ならではの話なのですが今の職場に鼻炎のアレルギーの人がいるのですが、くしゃみをしたときに「大丈夫ですか?」って言ったら「こんな時にくしゃみなんて嫌だよね。ごめんね。」って逆に気を使わせてしまった。
コロナ禍じゃなければ「アレルギーなんだよね。」ってくらいで済むと思うのですがコロナ禍なので気にする人もいるってことで、ならではだと思いました。
いろいろなセミナーに出席させていただく機会がありまして
先生方は県外から来ていたのでセミナーが中止になってしまった。
他にもイベント開催が出来なくなり、イベントに出店させていただいていたのですが、お客様用に準備していた出す物も使うことがなくなってしまった。
早く出店が出来るようになればと思います。
コロナになってから色々な事がないってことはないと思っていましたが自分なりに楽しんで終息してくれれば良いなと希望を持っていようと思います。


コロナと暮らし(白蓮坊住職・若麻績敏隆)

世界中で新型コロナウィルスの感染拡大が止まらない。一旦、収まったかにみえるヨーロッパでの感染も再び増加傾向にあり、この先、感染状況が落ち着いていくかは予断を許さない状況にある。10月14日現在で、全世界の感染者は3800万人、死亡者は108万人、日本における感染者は89,650人を超え、死亡者数も1,630人を超えた。コロナウィルスによって亡くなった方のご冥福を祈ると共に、感染された方の一日も早いご回復を願いたい。そして、医療現場の最前線で働く皆様には、こころより感謝を申し上げたい。
コロナで誰もが自粛生活を余儀なくされている中、私は、秋に予定されている展覧会に向けて、作品を描きためるのに時間を費やしていた。私は、身近な長野の風景を描くことをもっぱらにしているが、春には、長野近郊の桜を、感染対策に留意しつつ、なるべく人がいない時間を見計らって取材して回った。人間社会はコロナ禍で大きく混乱していたが、桜は今年も美しく咲いた。
自然の中に身を置いてその姿を静かに観照するとき、目の前に見える美しい森や草原、雲の浮かぶ空や、川の流れなどのすべてが、全き必然としてそこに存在していることに気がつく。何もかもがそこにあるべくしてある。自然の中には、様々な生きものが息づいている。巨大なものから微細なものまで。様々な動物や植物、あるいは目に見えない微細な細菌やウィルス。そうした無数のいのちが、すべて繫がりあい、一つの風景として平等に私の眼前に存在している。静かに風景を観照していると、自ずと自然に対する畏敬の念がおこり、自然に対する謙虚な心、感謝の心、生きとし生けるものへの思いやりの心が呼び覚まされる。大自然の中には、人間にとっては害になるようなものも数多く存在しているだろう。毒虫や毒キノコ、猛獣や害獣、細菌やウィルス。たとえ、人間にとっては厄介なものであったとしても、それら全部を包摂した大自然のなかで私たちは生かされている。
コロナでいのちを奪われた方の無念ははかりしれない。面会も叶わず肉親を亡くされた方の悲しみはいかばかりだろうか。その悲しみは、簡単に癒やすことのできるものではないだろう。しかしながら一方で、どのような悲劇、事故で亡くなったとしても、亡くなった方たちのいのちもまた、自然の大いなるいのちへと還っていくのである。そうした大いなるいのちの世界を、古から宗教は、極楽とか天国とかという物語で説いてきた。
今、コロナ禍の中だからこそ、人間社会から距離をおいた大自然の中で、生死について思いをめぐらし、いのちについて考えてみたい。自分のいのち、他者のいのち、そしてすべてをつつみこむ平等なる大いなるいのちについて。
コロナ禍が私たちにもたらした苦しみは、実際にコロナウィルスそのものに起因するものから、コロナの蔓延による経済的困窮、移動制限、休校などの社会的な苦しみ、そして差別や中傷、分断のような人間のエゴに起因するものなど様々である。大自然の中で自然と向き合い静かに観照することが、収入を増やしたり、社会制度を改善したりすることはない。しかし、コロナ禍で疲弊した心の痛みを癒やすことは出来る。自然は、もともと私たちのふるさとであり、いずれ還る場所だからである。ひとまず世間的なしがらみの領域から離れて、私たちのいのちの本来的な拠り所である自然との関係性を回復することは、現代に生きる人間にとって最も必要とされていることであろう。
近年の、気候変動に起因する災害、そして猛暑と、私たちはコロナ禍以外にも、身近に自然の脅威を感じることが多くなった。これら自然の脅威の原因を辿ると、そこには行き過ぎた人間の文明活動があると多くの科学者が指摘している。地球温暖化についてグレタ・トゥーンベリさんが涙ながらに大人たちの無策を叱ったことは記憶に新しい。私たち人間にとって、自然との新たな関係性を築くことは喫緊の課題なのだ。
コロナ禍を機に、先ずは大自然の中で、自分の心をニュートラルな状態に戻してみよう。地球の一部としての自らの立ち位置を確認したなら、今自分に何が出来るか、何をすべきかを考えてみよう。少なくとも私たちは、人間同士が差別し合い、争いあい、分断している場合ではない。コロナ禍が鳴らす自然からの警鐘に耳を傾け、エゴを超えて、思いやりの心を育み、未来を生きていく子供たちのためにこそ行動しなくてはならない。コロナ禍だからこそ、この人間社会の一員としての自分と同時に、自然の、地球の一部としての自分を常に持ち続けることを学んでいこう。


正直疲れてしまいました(長野県北信地区出身、在住のパート主婦)

コロナ禍の中で思うこと。たくさんあります。正直疲れてしまいました。コロナが身近に差し迫りながらもどこか他人事。そんなツケが回ってきてしまったかのようです。
長野県は保守的な人種です。コロナの件で、長野がイジメが多く、自殺率全国1位という数字を知りました。
生まれ育った長野の土地から県外へ出て、長野の良さを改めて感じて戻ってきただけに、その事実はショックでした。
しかし、コロナ禍での村八分、差別、投石や誹謗中傷などの話を風の便りで聞くと、現実の話なのだなと悲しい気持ちでいっぱいです。コロナで皆んな心が疲弊して貧しくなり、人間同士のイヤな部分が露呈しているように感じます。
政府は無責任で無策な対応しかしません。国民の生活には目を向けていない様に感じます。
あからさまな差別が露呈したことで性差別、男女間の隔たりの問題も大きく議論されていますが、まだまだ双方の理解の溝を埋めるのには時間がかかりそうです。
子ども達はコロナ対策の被害者です。今しか出来ない学校生活を振り回され、奪われています。
コロナは恐いです。でも私が何より恐れているのはコロナに羅漢して起こり得る、差別や誹謗中傷などの行動です。
コロナが今誰がかかってもおかしくない状況下で差別が横行してしまう、それこそが恐ろしいです。
人は1人では生きていけません。1人で生きている様であっても、誰かが育てた作物が無ければ、運搬してくれる人が居なければ、販売してくれる場がなければ、誰も何も得られません。それは自分以外の誰かが動いているからこそだから、という当たり前のことを考えました。
脱線しましたが、コロナ禍をきっかけに人それぞれの意識を変えていく必要があると思います。
コロナ=差別とならない意識改革が必要かと思います。それをしないとコロナを恐れて隠す人も増え、いつまでもこの状況は終わりを迎えられないです。
長野は保守的な考えの方が多いですが、良くも悪くも他人に干渉し過ぎる部分を考え直す機会になればと思います。
話があちこちに飛んでしまい、まとまっていませんが…、
日常が早く戻り、また戻った時にはこのコロナ禍を境に人それぞれの意識改革をレベルアップしていけたら良いな、と思います。


早く新型コロナウイルスが終息し、当たり前の日常に戻れますように(まこ)

新型コロナの感染が拡がり、学校が休業になった3月。我が家の子ども達は、突然の事態に「アベのやろう!」と怒って帰って来ました。この決定には納得が出来なく、休業中子ども達は、とてもイライラしていました。課題も、休業が延びる度に増え、予習の範囲を見る親も大変でした。親が先生になると、親子関係が崩れます。
  店頭からマスク、ハンドソープ、消毒など感染予防製品が消えました。夏頃になると、毎日のようにテレビのニュースで報道される感染者数に、下の子は脅え小さい心が不安でいっぱいになっていました。
  学校では35人の教室で過ごし、何かする度に手を洗う。運動会は体育参観日に縮小され、中学校の修学旅行は県内日帰り研修旅行に、文化祭もリモート、音楽会も3部に分けてマスク着用での合唱、部活の大会、コンクールも全て中止になりました。それなのに、国はGO TO キャンペーンを始めました。そして、感染拡大。
  子どもは、「私達は我慢しているのに、大人がどうして!」 とニュースを見ながら怒っていました。
  私は、子ども達の毎朝の検温と健康チェックカードの記入に、疲れを感じています。ただでさえ、忙しい朝。負担は大きく、早く解放されたいです。
  日本の政治家には、頭の良い人はいないのでしょうか。自分の利権しか、頭にないのかな。
  早く新型コロナウイルスが終息し、当たり前の日常に戻れますように。


ひとつひとつの仕事にとても時間がかかるように(医師・あらいぐま)

コロナが流行してから、ひとつひとつの仕事にとても時間がかかるようになりました、急病の患者で、入院や緊急検査が必要な場合は、院内感染を起こさないために、問診や検査などにより、コロナの感染の可能性がないか判断が必要です。その時間がないときは、私たちが重装備して患者対応にあたらないといけません。その間に患者が急変しないか、ひやひやします。
感染のレベルが上がると、他職種とのカンファレンスも制限が必要です。情報共有が難しくなります。また、とても切ないのが、面会制限です。入院してから家族に会えない患者さんが大勢います。お年寄りには、オンラインの面会はなかなか難しいです。亡くなるときも、これまでのように家族みんなでみとっていただくのが難しいです。
食事をとる際にも、他の職員と話ができなくなりました。飲み会もなく、お互いの考えを共有する機会が減りました。
経済が悪化すると、患者さんの受診が遅れないか心配です


子どもたちが、全員帰った後は、本当にホッとする毎日です(上高田保育園園長・藤原睦明)

新型コロナ・ウィルス感染症の感染拡大で、私たち保育園従事者は、毎日、緊張と不安の中で生活しております。国・長野市から度重なる感染予防の通知、自粛要請の通知、がひっきりなしにきています。目に見えないウィルス予防対策。慣れない感染予防に、手探りで、毎日を過ごしてきました。
近隣でのクラスター発生には、職員で手分けして、保護者に連絡。手洗い・うがいの習慣化。消毒。職員・保護者には、マスク着用。登園は、毎日、こどもたちに検温、体調の確認。健康チェックシートを保護者に義務付け、来園者にも、体温測定、マスクの着用、氏名・所属の記録を取りました。
園の行事は、ほとんどが、中止。卒園式、運動会も時間短縮、保護者を制限してきました。
研修は、メール研修、オンライン研修になりました。
「第二波」「第三波」と続き、感染者の数に、常に気を配り、現在は、子どもの受け入れ、荷物の受け渡しは、すべて玄関で行い、保護者も園内にはいれていません。
保育従事者は、皆疲れ果てています。もともと、保育園は、三密が避けられません。子どもたちには、免疫力を高めるために、食事をよくとり、早寝早起き、野外で、薄着になって遊ぶことを奨励しています。
8月には、市の方に、保育者従事者全員の定期的なPCR検査をお願いしましたが、無理ですということでした。
今回のコロナ禍によって、考えさせられたのは、医療、教育、介護、保育、障がい者施設、学童保育、福祉の現場では逼迫しているということです。経済中心の政策、新自由主義からの脱却を本気になって、考えるときになったと思います。
また、コロナ感染者や、医療従事者に対する、誹謗、中傷についても考えさせられます。皆が、助け合って生きていかねばならないです。
そんなことを考えながら、毎日を過ごしています。子どもたちが、全員帰った後は、本当にホッとする毎日です。


にっこりひろばの活動を通して(にっこりひろば代表・岡宮真理)

「にっこりひろば」は長野市立三本柳小学校の近くにあり、子どもを中心とした地域の居場所づくりの活動をしています。
平日、放課後と(現在は週1回夜も)施設を開放してどなたでも利用できる場所です。
活動を通じ、特にコロナ禍で感じたことをお伝えしたいと思います。
3月から5月の臨時休業では、「家族が家の中で過ごす」ことを強いられました。
児童センターと子どもプラザに通っている児童は、お弁当を持って来ている分毎日の様子が分かって良いのですが、それ以外の家に閉じこもっている児童は何をして過ごしているのか、ごはんは食べているのかなど見えないから心配になると、あるセンター長さんからの声もありました。
毎日3食の用意、食費がかさんで大変と保護者からの悲鳴のような言葉も聞こえて来て、私たちにできることを考えました。(当時はにっこりひろばは一般利用は休業し、自宅で過ごすことが困難な児童の預かりを行なっておりました。)
そこで、給食費よりも安い「こども弁当」を200円で販売することにし、子どもだけでも歩いて買いに来られるようにしました。三本柳小学校に協力をいただき、就学援助を受けている家庭には無料でその弁当が渡せるような工夫をしました。
毎回限界数の50食を用意しましたが、予約はすぐにうまります。子どもから直接の予約もありました。
怒りは弱者に向かいます。少しでも誰かのストレスを減らしたい思いで行なったことで、これがどのような成果につながったかはわかりません。ただ一部の家庭を無料にすることは行政としては特別扱いとなり、平等という名の垣根を取り払うことはとても困難だという現実を知りました。
にっこりひろばの活動にあたり、「寛容な社会・まちづくり」が一つの目的にあるのですが、現在の状況はその逆にむかっていると感じたこともありました。
自粛開けまもない頃に、あるお母さんがポツリポツリと話してくれました。「ずっと家にいてばかりで体力の低下や運動不足が心配。だからアパートの敷地内だったら外出してもいいかと思って、1日だけ縄跳びをやった。そしたらアパートの管理会社から子どもを駐車場で遊ばせるなと連絡が来た。私の判断のせいで子どもが悪く思われて、本当に子どもに申し訳ない」そのお母さんは普段から人に迷惑をかけないようにと過ごされている方です。ですので余計にこの出来事が辛く感じられたのか、6月頃のそのお子さんもとても萎縮しているのが感じ取られました。
このご家庭に限らず、自粛開けの頃の子どもたちは声も出ずとても大人しかった印象が残っています。最近はようやく普段の姿になってきたように思えます。
6月から現在まで、放課後の利用は子どもが10人を目安に人数制限を行なっています。
昨年までは多い時には30人ほどが同じ部屋にいるものですから、にっこりひろばはすぐに密になってしまいます。子どもの利用を増やすには、ボランティアスタッフも増やさなければなりません。
感染防止の意味では、人数制限は必要と判断しました。
しかし、そうなるとにっこりひろばに近い家の子ですぐにいっぱいになってしまいます。こちらが居場所が必要だと感じている子がなかなか入れません。そんな子に限って群れをなしてくるものですから、何度かごめんねと断ってしまっています。
1人か2人で来てくれたら入れるよ、とそっと言っていますが、実は気になるのは群れのその全員で、彼らに他の場所で会える頻度も多いわけではなく、どうしたものかと気を揉んでいる次第です。
台風災害の時もそうでしたが、コロナ禍においては平時からの繋がりがとても大事だと改めて感じたこと、そうは言ってもこれからの関係づくりを諦められるわけではありません。
コロナで外に出られない時、家族の過干渉(かつ放置)でストレスを抱えている児童が逃げるようににっこりひろばを利用していたこともありました。
ここが「誰かにとっての安心して過ごせる場所」であり続けたい。そう思ってこの活動を地道に続けていこうと考えています。


体罰について語ります(すあま)

おとなの6割は体罰を容認している2020、というニュースが少し前にありました
2004年の朝日新聞の調査では7割が体罰容認でした。少しずつですが減って来ています。厚労省も「子どもの権利が守られる体罰のない社会へ」をうたっています
日本人はいつから子どもを叩いていたのかを調べたことがあります。軍国教育の鉄拳制裁あたりからのようです。それまでは日本は子どもを驚くほど大事にする国だったようです。
まず体罰とは痛みと恐怖で子どもの言動をコントロールするものです。だから怖い人の前では怖いからおとなしくなります。すると殴ったおとなは自分の威厳を保てた、自分には指導力があると勘違いします。
しつけと体罰の違いは、体罰は痛みと恐怖を与える。これは暴力です
しつけとは自立できるようにやり方を伝えるもの。子どもの心を傷つけるやり方をしないものです。
体罰の脳への影響についての実証結果を2008年発表した友田明美先生。体罰が脳の萎縮や多大なストレスにより健全な発達を抑制することを発表しました。
森田ゆりさんも体罰の問題性を著書で伝えています。体罰をされている子どもの話しを聴く機会があります。小さい子どもだけでなく小中高校生がおとなから殴られています。「ずーっと殴られる」。
殴られてもいい子どもなんてこの世に1人もいないよ。「もう痛みは感じない」。自分の気持ちを感じなくしていると嬉しい気持ちも感じられなくなってしまう。それはとても悲しいことだよ。
「自分が悪いと思っている」。殴られる理由を見つけないと苦しくて生きられない。殴られない生活があるなんて考えられない状況です。
この世の中に殴られていい人間は1人もいません。DV環境の子どももたくさんいます(心理的虐待)。みなさんの身近にいる子どもたちは、もうここに存在するだけで大切な人間です
家が安心な場所でない子どもに、みなさんは何ができると思いますか。もしかしたら何も出来ないかもしれない。
けれど、学校の先生は子どもを気にかけてください。虐待を受けている子どもが多くいます
地域のおとなは子どもにおはよう、いってらっしゃい、おかえりと笑顔で声をかけてください。児童相談所に連絡してください。親子が社会資源につながるために。
小さいことかもしれないけれど、私たちに出来ることはいくつもあります。
「私、叩いてしまう」というおとなは1人で悩まず、「困っている、助けて」と周りのおとなに助けてを求めて欲しいです。
暴力のない社会はきっともっと暮らしやすいでしょう。
暴力は必要悪だし無くなりはしないと言ってくる人もいます
でも自然災害ではないんです、体罰や暴力は。人間がしていることだから、微々たる力でも仲間を増やしておかしいことにはおかしいと抵抗していきたいです。

追記
児童虐待防止法2019改正
2020年4月施行
第14条で親の体罰禁止が明文化されました


コロナってなんだ(フラワーデモ長野呼び掛け人 水野美穂)

いったいこの国はどこに行こうとしているのだろう…

コロナでいろいろなものが表出されてきた。
強者はより強者に、そして弱者はより弱者に。
世界のあちこちで変異株が見つかっているのに、国民の大半がオリンピックは無理じゃね?と口にしていても医療が崩壊寸前、いや崩壊しているように見えてきていても医療に注力しようとする姿は見えてこない。何だろうこの別世界感。
最初の非常事態宣言から何が変わったのかと思えば相も変わらず消毒しろマスクしろ出掛けるなと行動抑制のお願いばかりするだけで国産ワクチンを作り出すこともなく罹患したものが悪いという空気。
人流を抑えろと言ったって動いて流れて働かなければ食っていけないのに家賃が払えなければ住む場所でさえ無くなるのに。
家に居場所が無い人、DV被害者や被虐待者はどうしたら?逃げ込む場所は?
コロナで生活困窮した人への支援策を見ても給付は少ない。貸与に対して躊躇する人も多いだろう。もし私だったら、私もそうだ。期限までに立て直すことが出来なければと思うと手が出ない。

コロナで困窮することも自己責任なのか?
弱者にしわ寄せがくることは自己責任なのか?
だとしたらそもそもコロナがなぜ持ち込まれたのかを考えたならばコロナで困窮する側は持ち込ませた側に対応を求めるのが正当ではないのか?

今の状況は私がフラワーデモを始めたころになんだか似ている。
被害者に責任を持たせ罪悪感を持たせ貴方が悪いから被害を受けたのだ、という状況になんだか似ている。
コロナを持ち込ませず抑え込んだ国もある中、なんとも対照的に抑え込めずに広がり増え続けている。
持ち込んだのは…よりも、持ち込ませたのは、持ち込むことを許したのは…。では?

「知恵を探せ、知識ではない。知識は過去だ。知恵は未来だ。」
これはネイティブアメリカンの教えです。

私たちは今こそこの言葉を意識しなければならないのではないかと思います。


ネイティブアメリカンの教え、もう一つ。
「地球は親から与えられたものではない。
祖先からの授かりものでもない。
子ども達から借りているのだ」

私はこの今の世界を次世代に返したくない。
少しでも良きものにして返したい。そう思っている。


ウィズコロナ時代を共に生き抜こう(シンガーソングライター・清水まなぶ)

WHOのパンデミック宣言から半年、新型コロナウィルスの感染者は世界中でまだまだ増え続けています。これが昔から繰り返されてきた感染症との戦いなのか。感染してしまった方にはお見舞い申し上げると共に、お亡くなりになってしまった方には心よりお悔やみ申し上げます。この半年間、都市によってはロックダウンや緊急事態宣言で自粛を要請したりと対策が取られましたが、時と共に様々なものもあぶり出されてきたように思います。切羽詰まった時の人間の内面的な感情の動きや、医療体制・インターネットなどのインフラ整備の問題。
前者としては、いわれなき差別や誹謗中傷、噂話が広がり自粛警察なるものまで現れる。様々な情報が溢れ、何を信じていいのかさえわからない。そんな中自分は皆と同じことをしているんだから国や地域の為になっているんだと思っていませんか?これも一つの正義感からはじまっているのだとは思いますが、その行為が人権を傷つけてはいないだろうか?みんなで寄ってたかって特定の人を晒してしまってはいないだろうか?さかのぼる事、戦時下で、戦争の熱に浮かれた人達が暴走した全体主義に似ている。「贅沢は敵だ!」の号令に誰もが従い、そのまま自由が奪わていく。もっといえば、15~18世紀までに全ヨーロッパで4~6万人が処刑されたという魔女狩りにも集団意識や民衆の原動力が見える。一歩間違うとこの全体主義的な民衆の力は恐い。忖度などのない正確な情報を国が発表してくれると共に各メディアも不安を煽り過ぎたり売り上げの為に面白おかしく演出するのではなく、冷静に感染症との戦い方を共有していただきたいと願うばかりだ。
そして後者としては、医療従事者の皆さんには本当に頭が下がりますが、今回のように未知なるウィルスが現れた時の準備がまるで出来ていなかったということ。研究費の削減もあるだろうが、病院や保健所の対応も様々と聞きます。医療現場も含め圧倒的に人員不足。相談にしろPCR検査にしろ感染症の最初の窓口保健所の数が1990年代の地域保健法などにより統合・再編され、それ以降現在では4割以上減ってしまったということも、混乱を招いている一つかと思う。またいつ新たなウィルスが襲ってくるかもわかりません。軍備防衛にばかりに注目は集まりますが、こういった感染症・新型ウィルスへの対応、医療現場の整備対策を早めにしっかりと進めていただくことを願います。アルベール・カミュの「ペスト」にも「災禍のさなかで学んだこと、人間の中には軽蔑するものより、賞賛すべきものの方が多い」とも書かれています。コロナ禍で小さな幸せを感じやすくなった人も多いでしょう。
当たり前が当たり前で無くなった時、いろいろなものが見えてくる。私たちも今まで様々な会場に人をたくさん集めてその前で歌うということが当たり前でした。しかし3月以降イベントや講演会などすべてが中止となりました。9月以降少しずつ行われ始めましたが、まだまだ元通りには程遠い状態。その間、配信ライブやソーシャルディスタンスでのレコーディング、オンライン上でのPRは続けましたが、今までと同じ事が出来なくなった時、どれだけ目の前で歌ったり笑いあったりが楽しいか、あらためて気付かされます。またアーティストの皆さんは一緒かと思いますが完成品にこのコロナ禍の影響を受けた表現も出てくるとは思います。しかし創る、生み出すという表現方法はどんな状況であれ変わらず続けられていることと思います。この未曽有の経験を良い方に活かしていきたいですね。
しばらくは治療にしても予防にしても、この手探りの状況が続きそうですが、万が一ウィルス感染してしまったとしても安心して公表出来て、治療に専念し社会復帰できる世の中であることと、不確かな情報を元に過度に恐れるあまり集団となって人が人を攻撃してしまうことのないように、感染予防対策を心掛けながらウィズコロナ時代を共に生き抜いていきましょう。